わたしが目の当たりにした、本当の自律をされている104歳の方の話。
自分で律すると書いて”自律”。
自律、それはすべての判断を自分で行い自分の意志で生きること。
ひとはなかなか気づかないうちに他人の判断に身をゆだねていることがあります。
「誰だれが言ったから」
「偉い人が言ってるから」
などとつい他人の判断に依存してしまいます。
自律とは自分で判断して自分の意志で行動することです。
だれのせいにもしない生き方。
とっても勇気のいる生き方だと思います。
自律して生きることは、自分で自分を生きるということですね。
それはとっても幸せな生き方だと思います。
わたしは以前に、本当に自律されておられる104歳の男性の方と出会いました。
その方は、104歳になっても「人生は楽しいね!」と口ぐせのようにおっしゃる方です。
いつも何かあれば「ありがとう!」と気持ちの良い声で返されます。
その方がおられるだけで、まわりの人を気持ち良くしていかれる方です。
今回はその方との出会いから、素晴らしい人生の終焉までのお話です。
この話は以前にブログで書いたものを書き直したものです。
自律とは何か?
生きるとはなにか?
幸せとはなにか?
わたしの生き方について、大きな指標となっているエピソードなので書き直し再掲載します。
この方はとてもとても快活で明朗な方でした。
お名前はHさんと呼んでいきます。
わたしはHさんが103歳の時に出会いました。
これだけのお歳なのに、杖は1本だけでしっかりと歩いておられます。
いつもどんな時も「ありがとう!」「ありがとう!」と私たち職員に気持ちよく快活に言われます。
「ありがとう!」のあとには「人生は楽しいね!」ともよく言われます。
わたしはHさんと接するのが気持ちよくて、暇ができるとそばに行ってお話を聞いたり、わたしの話を聞いてもらったりしてました。
わたしが「つらいこともあったんじゃないですか?」と聞くと、「そりゃあつらいこともないと人生楽しくないでしょう!わはは!」と返されます。
「Hさん、お身体の調子はどうですか?」と聞くと、いつも「わるくないねえ!ありがとう!」「でもこの歳ですからねえ、悪くても仕方ないでしょう!ありがとう!」と返されます。
「Hさん、なぜいつもそんなに明るいんですか?」と聞くと、「そうですねえ、わたしはねえ、いつも楽しむことばかり考えて生きてきましたからねえ。もう若い時からこんなですよ。わはは!」と言われます。
Hさんは太平洋戦争の時、中国の戦地に赴かれていました。
わたしは戦地での話を聞きました。
わたし「戦争中はどうだったんですか?」
Hさん「わたしは中国で軽機関銃担いで山の中歩いていましたからねえ、脚が太いでしょう」
わたし「Hさん、戦争の時はいろいろあったんじゃないですか?」
この時だけは少し考えこんで返事がすぐに返って来ませんでした。
「そうですねえ…わたしはねえ、どんな時も楽しむことばかり考えていましたからねえ。夜中に機関銃撃ち合ってる時もタンゴのリズムで撃ったりして、チャッチャッチャッチャッって。そうしたら上官に「H!なんだそれわあ」って言われましてねえ。 わたしは、こんなの闇夜に鉄砲ですよ。当たりませんよと言い返しましてねえ。わたしは戦争のときでも楽しむことを考えてましたねえ」
Hさんとのやりとりはいつもこんな感じでした。
わたしは「Hさんはわたしの人生の師匠です!」とHさんに言っていました。
Hさんは「そうですか。はっはっはっ、人生は楽しいねえ。わはは!」といつものように気持ちよく返されます。
そうして出会ってしばらくが過ぎて、Hさんの104歳の誕生日が近づいてきました。
そんなある日わたしはHさんに「Hさん、もうすぐ104歳ですね!」と言いました。
するとHさんは「はい!もう十分に生きました。このあたりでもう十分でしょう!これだけ生きればわたしは十分だと思っています」と言われました。
自分で決めている、という強い意志を感じました。
わたしは「ああもう十分なんだな。終わりも自分で決められるんだな」と思いました。
引き留めるような声かけはナンセンスだと感じました。
ほかの人たちが「Hさん、長生きしてくださいね!」と言っても、「ありがとう!でももう十分でしょう」と返していました。
そして104歳の誕生日のお祝いを盛大に行いました。
Hさんはみんなの前で、「ありがとうございます!これだけ生きたらもう十分だと思っています」と言われました。
そうして2か月くらい経って、Hさんは風邪から肺炎に罹ってしまいました。
Hさんはご家族に、「なにがあっても延命措置は一切しないようにと」伝えていました。
そしてご家族たちの見守る中で息を引き取られました。
わたしはHさんが旅立ったと聞いたとき、「Hさん、素晴らしいですね」と思いました。
ほんとうに得難い事柄を間近で体験させていただきました。
Hさんは、すべてを受け入れて、すべてを自分の判断で決めてきたのだと思います。
「自灯明、法灯明」
この言葉がこのエピソードに、仏教の教えとして当てはまるかはわかりません。
わたしはHさんは、自灯明、法灯明で生きてこられた人だ、そう感じています。
わたしはHさんの人生の終焉に関われてほんとうに良かったと思いました。
旅立つ時でさえも自分で決める。
これは本当の自律なのだと思いました。
自律は、自分の意志で、自分で判断して生きるということ。
それは幸せのためにとても大切なことです。
Hさんからは本当の自律を学ばせていただきました。
最後までお読みいただきありがとうございます!
すべてのことがらに感謝!
みなさまに幸せが届きますように!
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