断食護摩修行 根源的エネルギー ワンネス
先日、京都の綾部にて断食護摩修行をしてきました。
3日の間、水と食ベ物を断ちながら、日に3回の護摩行を行います。
護摩行とは不動明王の化身である火と一体化をする行です。
その火は根源的なエネルギーの象徴でもあります。
火と共鳴し、一体化し、宇宙のすべてとありのままにつながります。
1日目は、かなりの力仕事を行うことがあったために、昼過ぎにはもう喉の渇きを感じる状態になってしまいました。
しかしながらも夜はよく眠ることが出来ます。
2日目中盤になる頃には、渇きに加え、飢えも感じてきます。
自分の中の物質的なエネルギーはかなり消耗された状態になってきます。
護摩修行で不動明王真言を発することにも疲労を感じます。
しかし2日目中盤を越えてくると、どこからか新たな力が湧き上げって来るのを感じます。
そして祈りの力は衰えることなく、パワーを増していきます。
3日目をむかえて、飢えと渇きは感じるものの、どこからか力が湧きあがり続け、それは満行まで続いていきます。
同時に、自分のすべてがピュアな状態になるのを感じ、ありのままの自分の感覚になっていきます。
今まで感じられなかった、内から溢れ出る根源的なエネルギーを感じられるようになって行きます。
この世のすべては根源的なエネルギーで出来ています。
根源的なエネルギーは癒しの根源的エネルギーでもあります。
外的な物質的なものに頼る生活を送っていると、物質を超えたエネルギーを感じることができなくなります。
それは外部からの力に依存することになり、自分自身の内なる癒しの力を封じ込めることになっていきます。
3日間の断食断水しながらの護摩修行は、真の癒しの力を感じることのできる機会となりました。
今回、わたしは行を行うにあたってひとつのテーマがありました。
それは最澄上人の言葉である、
「忘己利他」(もうこりた)
”己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり”
セラピストとして、真の癒しへと導く手助けができるようになるためには、「 忘己利他 」と向き合うことがなによりも大切だと思っています。
己はなにか?
なにが己か?
飢え渇いた状態の中で己と向き合い、己を忘れて他者のために祈るようにしました。
その中で大きな体験をしました。
それは他者と自分の区別がなくなった感覚があったことです。
それは目の前の火と一体化するような感覚でした。
己を忘れることも忘れ、ただただワンネスを感じました。
10秒くらい感じたような気がするのですが、おそらく実際は一瞬のことだったと思います。
そうして得た大きな気づきは、「ただ動く(実践する)」ということでした。
己を忘れることも忘れただ動く。
ただ動くことが他を利することになる。
他者のためと考えることを突き抜け、直感で動いた結果が他者のためになっている。
そのように動く。
こういった気づきを得ることができました。
ずいぶん自分が整った感覚がします。
ともに修行させていただいたみなさんに感謝です。
断食明けのお水、最高でした。
こんなに美味いものがあるのかという気持ちになります。
この世は素晴らしい!
すべてのことがらに感謝!
みなさまに幸せが届きますように!
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