病が重くとも前進できる(2)生きがいとはなに?携わる者にできること
こんにちは!
今回は、生きがいとはなにか?病の方に携わる者として何ができるのか?といったことについてのおはなしです。
以前の記事「病が重くとも前進できる(1)」のその後の話になります。
わたしがデイサービスをやめることでCさんと会えなくなりました。
しかしその後ふたたび交流がはじまります。
こんどは機能訓練指導員としてではなく、いちセラピストとしての交流です。
それはデイサービスよりも深くCさんの人生に接することになりました。
生きがいとはなにか?というところにもっと向き合っていくことになりました。
そんなCさんとの交流を通じて、生きがいとは何か?そこにできることは何か?についておはなしをします。
施設をやめることに。そして別れの日
最初の出会いでどなられて、リハビリを拒否されて、そしてそののち一緒にリハビリをしてくれるようになったCさん。
たまに「しんどいから今日はやめとく」とおっしゃることはあります。
それでも別の日にはしっかりとリハビリに取り組まれるようになっていました。
そうして2年間がすぎました。
やめる半年前にCさんにそのことを伝えました。
わたし:
「Cさん、あと6か月でやめることになりました」
「開業資金を貯めるため、もっと給料の高い所へ行きます」
わたしはCさんには本音をお話しするようにしていました。(ほかの利用者さんにも同じように接します)
Cさん:
「そうですか。いよいよ開業ですね。おめでとうございます」
わたし:
「Cさんと一緒にいさせてもらって、とっても勉強になりました」
「あと6か月よろしくお願いします」
Cさん:
「お店開いたら教えてください」
「先生のお店に行きますので」
わたしはお愛想を言ってくれてると思いました。
そしてやめる日がやってきました。
わたし:
「ではCさんこれでお別れです」
「本当にありがとうございました」
Cさん:
「先生、電話番号を教えてください」
わたしは深く考えずに電話番号を書いたメモを渡しました。
そうしてわたしは施設をやめていきました。
見知らぬ電話
施設をやめてから3か月くらいしてある日のこと。
見知らぬ番号から電話がありました。
それはCさんからの電話でした。
Cさん:
「先生、身体をみてください」
「お店に行くので場所を教えてください」
わたし:
「Cさん、お店はまだ開いてないのです」
「店開くのはまだまだ先になると思います」
Cさん:
「ではどこかみてもらえる場所を言ってください」
「そこまで行きますので」
いやいやいや。車いすで手足も不自由なのにどないしてくるんや?
わたしはそう思いました。
わたし:
「わかりました。ではCさんのおうちまで訪問いたします」
そんなこんなでまだ開業準備も進んでないうちから、
強引にお客さんになってくれたのでした。
訪問してなにができる?
訪問当日、Cさんの家に向かう中で考えました。
「家まで行って、さらに設備もないなかでわたしに何ができるだろう?」
「とりあえず、今日は思い出話をしに行こう」
そうしてCさんの家を訪れ、まずは思い出話に花を咲かせました。
Cさんの奥様から、
「主人は自分から電話することないんですよ」
「電話しててめずらしいなと思ってたら、
先生のとこへ電話してたんですね」
と言われました。
わたしは、
「そこまでして電話してくれたのか」
「よしこれなら、ここで運動しようって言っても断れないだろう」
そう思いました。
わたし:
「Cさん、わたしを呼んだということは、
今日のメニューに運動が入ってることもご覚悟のうえですよね」
Cさん:
「運動はけっこうです」
わたし:
「だめです。運動をすすめるのがわたしのつとめです」
「わたしを呼んだからには、
わたしのつとめを果たさせていただきます」
「でないとわたしが来た意味がありません」
Cさんは、仕方ないなあって雰囲気でした。
そして一緒にわたしが手を引きながら、
”スクワット、立ち上がり動作訓練、歩行訓練”
全部に取り組まれました。
わたし:
「前の施設でここまで積極的に運動してくれることってなかったですよね」
「わたしは今、うれしくて楽しいですよ!」
Cさん:
「もうしんどい(笑)」
そう言いながらも、
定期的に呼んでいただくようになりました。
生きがい、社会への貢献、幸せ
Cさんはよくこうおっしゃります。
「わたしは社会のなんの役にも立てへんのや」
「生きてても仕方がない」
わたしは、この言葉を聞き逃してはいけないと思っています。
それは、社会の役に立ってないと思っていることで、生きがいを失っておられるから。
生きがいを失っておられるということは、とうぜん幸せも感じておられないでしょう。
もう少し詳しく書きます。
”社会の役に立ってない” = ”社会への貢献”ができてない。
”社会への貢献”ができていない = ”社会参加”ができていない。
と言うことになります。
そして”社会参加”は、幸せを感じる大きな要素になっています。
つまりCさんの「わたしは社会のなんの役にも立てへんのや」という言葉は、幸せを感じられず生きがいを失っているということです。
わたしは、生きがいに向き合うということがいちばん大切と思っています。
それは病気に向き合うことよりも。
生きがいに向き合う
わたしはCさんの生きがいに向き合うために、そのことについてCさんとよく語り合います。
「わたしはCさんが呼んでくれて、代金ももらえるしうれしいし助かってますよ」
「一緒に運動してくれるのでわたしは楽しいですよ」
「わたしはCさんを診ることで社会貢献ができています」
「わたしも社会の一部です。わたしに貢献してくれているということは、Cさんは社会の役に立っているということになるんじゃないですか」
わたしは事実としてこう伝えています。
Cさんはこれを聞いて微笑んでおられます。
こたえにはなっていないかもしれないですが、今のわたしにできる生きがいに対するせいいっぱいのこたえです。
まずはただただ向き合う。
生きがいに向き合う。
これがいちばん大切だと思います。
目の前におられる方に、病は重くとも、生きがいを感じられるように。
今回はここまでで!
最後までお読みいただきありがとうございます!
みなさまに幸せが届きますように!
感謝!
▷あわせてお読みください
「人生100年時代。いまやりたいことはある?生きがいを見つめなおしてみる」
「生きがいに本気で向き合う。クライアントさまと生きがいについて語る」
「”真のケア”それは手法ではない。”生きる意味”その本質に向き合う」
「使命は人生を豊かにする。「MISSION ミッション」