人生最大のライフイベント「死」
人生最大のライフイベント「死」
この世で生を受けたものとして避けることのできないイベントがある。
それは「死」というものだ。
死と聞けばとても恐ろしいものというイメージがあると思う。
ある人がこう言っていた。
「死というのは人生にたった一度しかない最大のイベントです。これを楽しまないのはもったいない」
わたしは死の体験を何度かしたことがある。
いわゆる臨死体験と言うものだ。
それは柔道というものの中で体験することができた。
柔道には絞め技というものがある。
なにを絞めるのかと言うと首を絞めるのである。
そして首を絞めて、”参った”をさせるか、気絶させてしまえば勝てるのである。
柔道では気絶させることを「落とす」と言う。
反対に「活」と言って蘇生させる技術もある。
「落ちる」仕組みは、頚動脈を絞めることで脳に血液を送れず脳細胞が酸欠となり失神するのである。
さらに気管も締まり、呼吸もできなくなる。
そのまま締め続けると、脳細胞が死に至り命を落とす。
つまり「落ちる」ことは臨死体験そのものとなる。
わたしは中学生から柔道を始めた。
最初のころの練習では先生との乱取り(対戦)中に絞め技をかけられ、何度も落とされかけることをまず体験した。
そしていつのタイミングか忘れたが、本当に「落とされた」のであった。
首を絞められることで、ただでさえも乱取りで息が上がっている中にさらに呼吸を止められ、命に直結する苦しさを感じるのである。
そしてだんだんと唇が痺れて感覚がなくなってくる。
その次はどちらが先か忘れたが、目と耳が機能を停止していく。
目は視界の中に渦のようなものが見えてそれが段々と広がりやがて暗くなっていく。
耳は手のひらをゆっくり耳に当てて、徐々にふさいでいくように音がこもりながら聞こえなくなっていく。
そしてなにもなくなる。
初めて落ちたときは、落ちてすぐなのか蘇生中なのかどこのタイミングかはわからないが夢を見たような気がする。
田舎の駅とお花畑だったと思う。
そしてだんだんと失っていた感覚が戻り、我にかえり蘇生する。
練習の日々の中、落ちるまでの過程を何度も経験するうちにこの感覚に慣れてくる。
そして落ちるまでにどこまで耐えられるかもわかるようになる。
ただ、その過程が苦しくて怖い体験であって怖さだけは慣れることはなかった。
初めて落ちた体験のあと、家に帰ってからふと思ったことがあった。
「俺って死ぬんだな」
そしてこうも思った。
「死ぬってあっけないな」
死への怖さはあるが、最後には恐怖もなにもなくるんだなと言う安堵感のようなものが心の奥から湧いて出るように感じた。
死というものは、とっても恐ろしく感じるものかも知れない。
それは得体の知れないものへの恐怖かも知れない。
死を体験しているのは本人だけだから、本当に死んだ人の体験談は誰も聞いたことがないから、得体の知れないものというのは仕方がないだろう。
「死んでしまえばあっけないはず」
臨死体験ではあるが、それを体験したわたしはこう思う。
誰でもこの世に生を受けたときから死はもれなくついてくる。
そしてたったいちどしかない最大のライフイベントである。
生きていくこととはこのイベントのまっ最中なのだ。
そしてどこかのタイミングでクライマックスを迎える。
自分だけのクライマックスを楽しみにして生きることが、充実した人生につながるかも知れないと思ったりするが、やっぱり怖いだろうか。
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