ケアは手法ではない。”生きる意味”その本質に向き合う。それが真のケア
こんにちは!
「病気を診ずして、病人を診よ」(高木兼寛)
この言葉は、医師や看護師、ケアワーカーやセラピストなどの職に携わるものならば、知らない人はいないでしょう。
わたしは正直なところその言葉を聞いたとき、そんなことは当たり前でしょうと軽く聞き流していました。
しかしいざ現場に向かうと、そんなことは完全に忘れてしまっていました。
症状だけしか見ることができていませんでした。
そして”~法”や”~療法”などの”手法”のみを追求するようになっていました。
それでも一応の効果はあったので、すっかり満足していました。
それが高齢者施設に移ってからは、その”手法”がまったく役に立たないということに直面しました。
そういった体験から、人の本質を診るということに気付いていきました。
「病気を診ずして、病人を診よ」
この言葉の真髄に気づかされたのでした。
わたしの場合は、症状を診るのではなく、まず人の本質を診るということになります。
それはケアのちからへの気づきとなったのでした。
今回は、本質に向き合うことそれが真のケア。そんなおはなしです。
高齢者施設での無力体験
わたしの勤めたデイサービスは、ターミナル(末期)の方が多く利用されていました。
そして生きがいを無くされている方が全体の半数以上おられました。
わたしの業務は、そういった方々の心身機能の維持・向上です。
さまざまな手技療法や運動療法をもって業務にあたりました。
しかし。
手の施せない末期の症状の方。
余命宣告を受けられている方。
生きがいを無くされている方。
その方々をまえに、それは無力でしかありませんでした。
明日への希望がないのに、その手技や運動になんの意味があるのか?
そのようなことをみんな言われるのでした。
手法はかんたん。だが手法にとらわれる
そのような方を前にして、わたしをおそったのは無力感でした。
なんとかしなければ。
しかし今までの手法が通じない。
いままでわたしはなにを学んできたのだ?
得意になっていた自分は何だったのか?
手法にはそれを行うための手順があります。
わたしのようなものは、その手順を追ううちにまわりが見えなくなっていたのです。
そして手法ありきで、症状だけしか見えなくなっていたのです。
わたしの手法が無力とわかったいま、今までとちがうアプローチを模索する必要がありました。
それが本質への探究となるのでした。
本質はつかみどころがない。けれどシンプル
本質とはなにか?
本質を追おうとすると、こんどはつかみどころがなく途方にくれてしまうのです。
目の前の人は生きがいをなくされているということ。
つまり生きる意味を見失っているということ。
生きる意味をみることが、本質をみることになるのではないか?
そのためにまずは利用者さんのこころの奥底に向き合ってみよう。
しかしそう思うと、怖さも湧きあがってきました。
生きる意味を無くしておられるような方に、わたしみたいなものが踏み込んでよいのか?
わたし自身が死を間近にする側になったとして、生きる意味をなくさずにおれるのか。
わたし自身の死にも向き合う。
そう覚悟を決めました。
そして、わたし自身に対しても生きる意味を問いながら語り合ってみよう。
そう決心しました。
ただし、それはあくまでも自分のできる範囲で行う。
他の人の人生を背負いこめはしないのです。
わたしは神さまではないからです。
わたしにできるのはまずは向き合うことだけ。
「なぜ生きがいを失っているのか?」
「余命宣告を受けていても、いま生きがいを感じることができるものはないのか?」
「症状による苦痛があっても、なにか気持ちをやわらげることはできないのか?」
そういったことを利用者さんとしっかり本気で語りあうようにしました。
そうすると不思議なことに、こたえは出なくてもみんな元気になっていかれるのでした。
手技も運動も施していないのに、元気になっていかれました。
おはなしのテクニックなど使う余裕はありませんでした。
ただただ向き合うだけでした。
しかしそれで元気になっていかれるのでした。
そういう体験をして、本質をみるということはまずは向き合うこと。
それはとてもシンプルなのだという気づきを得たのです。
全人的医療
”全人的医療”というものがあります。
それは、人として尊重して患者さんを見つめるというものです。
患者さんの生きる意味に向き合い、アプローチを行います。
その主宰者であり心療内科医の永田勝太郎先生の言葉です。
「人間の行動を本質的に変えるには、本人がそこに生きる意味を感じないと不可能」(”人生はあなたに絶望していない”p126)
こう言っておられます。
この言葉は、認知行動療法を行うよりも、その前に必要なものとして語った言葉です。
真のケア
生きる意味に向き合うものは、医療業界では”ケア”の領域になります。
”ケア”にもさまざまな手法があります。
手法はとてもありがたいものです。
しかし”ケア”も手法ありきであってはいけないと思っています。
まずはただただ向き合う。
「病気を診ずして、病人を診よ」
そして生きる意味に向き合う。
それこそが”真のケア”だと思っています。
今回はここまでで!
最後までお読みいただきありがとうございます!
みなさまに幸せが届きますように!
感謝!
▷あわせてお読みください
「スピリチュアルケア。真のケアはそこにある」
「生きがいに本気で向き合う。クライアントさまと生きがいについて語る」
「病が重くとも前進できる(2)生きがいとはなに?携わる者にできること」
「もしかしてゴッドハンド?なでるだけで腰痛が消えてしまったおはなし」
「祈りはたいせつ。宗教ではなく信仰として。こころの健康のために」
「人生100年時代。いまやりたいことはある?生きがいを見つめなおしてみる」
▷関連書籍
永田勝太郎 「人生はあなたに絶望していない」