生きがいに本気で向き合う。クライアントさまと生きがいについて語る
こんにちは!
本日は二名のクライアントさまのもとへ訪問整体へ行ってきました。
お二方は開業前からご利用してくださっている方です。
おひとかたは、かつての脳出血の影響で、右の上肢から下肢に強い痛みの症状がある方です。
運動障害もあり、自立歩行はできますが困難といった方です。
リハビリ意欲は高いのですが、体力がおいつかないといった状況です。
この方は「はやく死にたい」といつもおっしゃいます。
なのでいつも生きがいについての問答をさせていただいています。
今回は、クライアントさまを通じての生きがいについてのおはなしです。
訪問整体へ赴くようになるまで
この方とは以前につとめていた施設で出会いました。
以降はAさんとしていきます。
最初にAさんと出会ったときに、わたしが言った言葉があります。
「運動すればまだ改善の余地がありますよ」といった言葉です。
しかし体調が安定せず、思ったようにリハビリがすすみませんでした。
わたしがその施設をやめるときにAさんから言われました。
「先生、運動すれば改善すると言ってくれましたよね」
「わたしは期待してるんですよ。やめるんですか」
たしかにわたしはAさんに「改善の余地がある」と言ったなあ。
そのことがずっと頭に引っかかっていました。
そうして施設をやめたのちに、訪問整体へ赴くことになりました。
介護保険外のサービスですが、急変時の対応としてケアマネージャーさんと連携を取れるようにしました。
現在なにごともなくAさん宅へ訪問整体に行かせていただくことができています。
「はやく死にたい」
Aさんは「はやく死にたい」といつもおっしゃっています。
右半身の症状がかなりの苦痛なのです。
わたしは「はやく死にたい」ということばに対して、「長生きしてください」とは言いません。
「なぜ死にたいのか?」その問いにこたえなくてはいけません。
それをせずに「長生きしてください」と言うのは無責任だと思っています。
毎回Aさんとは「生きがい」について哲学問答になります。
わたしはその問答をAさんに楽しんでもらえるようにしています。
わたしもその問答を楽しむようにします。
生きがいを見出すための問答の時間を楽しむ。
まずはその時間だけでも、生きがいを楽しむことができればと思っています。
それが「はやく死にたい」と言うことへの本質に対して、向き合っていることであると信じています。
こたえは出にくいが生きがいを見出してほしい
問答によってわたしに今できるのは、なにかの希望を見出してもらうこと。
生きる意味を見出してもらうこと。
こたえはなかなか出るものではないでしょう。
それでも生きがいに向き合います。
そのためには公的支援が必要になる場合があります。
しかしその公的支援だけでは、十分に向き合うことができないことも現実です。
公的支援といちセラピストとしてできること、あわせての支援が必要です。
わたしができることとして、まずこころが健康になっていただくために向き合います。
哲学はむずかしい?
哲学というとむずかしく聞こえますね。
しかし哲学は必要だと思っています。
それは学問としてではなく、もっとシンプルなものとして考えることがたいせつです。
生きがいを見失わないために
高齢者施設では生きがいをなくされている方たちが多くおられます。
生きがいを見失わないために。
生きがいとは何か?
自分の生きがいはなにか?
といったことを少しでも考えるようにすると、将来見失うことは少なくなると思っています。
生きがいを見失わないために、シンプルに思索をしてみましょう!
わたしは充実した生きがいをとても感じることができています!
今回はここまでで!
最後までお読みいただきありがとうございます!
みなさまに幸せが届きますように!
感謝!
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