伝える手段

伝える手段

僕は話すことが苦手だと思っている。他の人からも口下手だと言われ続けてきた。人前で話をしようとすると言葉が出なくなるか、反対に話すぎてしまったりして、加減ができていないことが多いと感じたりする。では書くことが得意かというとそれも苦手だったりする。つまりどちらも苦手だということだ。

いま僕は書くことを学んでいる。苦手な両方のうち、話すことよりも書くことの学びを選んだ。それはただなんとなく選んだ。しかしじっくり考えたとしても、やはり書くことを選んだと思う。

書くことよりも話すことの方が良いと思うときがある。たいていは何かの気持ちを伝えたいときだ。
身振り手振りや表情、声のイントネーションを交えた方が気持ちが伝わると思うからだろう。
気持ちの微妙なニュアンスを文章にして書く手間よりも、話すことの手早さを選ぶこともある。
それでは気持ちを伝えるには、書くことよりも話すことの方が優れているということなのだろうか?

話すことと書くことの違いについて考えてみる。
話すことは、素材の純粋なエッセンスをそのままに出すような、サラダや刺身と似ているのではないかと感じる。
対して、書くことは素材をじっくり煮込み、アクを取り、調味料によって素材の新たな味を引き出したり、隠し味によって”妙”な味が出るといったようなものではないだろうか。
*”妙”というのは仏教の言葉で「この上なく素晴らしい」という意味がある。

仏教の始祖であるお釈迦様は菩提樹の下で悟りを開き、この世界の真理、つまり仏法を覚ったそうだ。
その後まもなく人びとに「この世界は如来如去である(この世界はありのままに来て、ありのままに去る)」という言葉を聞かせたが、あまりにも仏法の純粋なエッセンスのみであったためだれも理解できなかったという。
その後、さまざまなたとえ話に置き換えたりして人々に伝わりやすくしていったがすべて口伝であった。
お釈迦様が入滅後、それまで人々に伝えた言葉は弟子たちによって文章にされお経となった。
時代を経て、そのお経をもとに龍樹というものによって”空(くう)”の概念があらわれた。
この”空”というのは、「如来如去」のどこから来てどこへ去るのかといったことに対しての概念で、すべては空から来て空に返るのだということらしい。そしてこの世界はすべてが空であるということだそうだ。般若心経をご存知ならば”色即是空・空即是色”に出る”空”のことである。
この空の概念によってお釈迦様が伝えた仏法のエッセンスはさらに理解が深まったそうだ。
その後も、内容を豊かにしお経の数を増やしながらさまざまな国に広がって行ったらしい。

僕がなぜ書くことについて学ぶことを選んだか、それは自分の気持ちをじっくりと伝えたいという思いがあるからかも知れない。自分の気持ちをじっくり煮込み、アクを取り、調味料と隠し味を入れ、ただ気持ちを書いたもの以上の”妙”なものになる何かを込めたいのだとも思う。
さらに文章はかたちに残ることで何度も読み返すことができる。自分で読み返すことによって自らの真相を知ったり、気持ちを熟成させたりすることができるかも知れない。”空”という概念が生まれたような発展も、もしかしたらと若干期待したりもする。

書くうちになんだか話が苦手とか書くことが苦手とかはどうでもいいと思い出した。
なにを伝えたいのか、どのように伝えたいのか、そこにフォーカスを当てればおのずと話すことだったり書くことだったり、なんとかなるのではないかと思い始めてきた。
なぜ書くことを選んだとかもどうでもいいのかも知れない。
ただ書きたいから書くことを学んでいくそれでいいのかも知れない。

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