母、薄氷の下の春
母、薄氷の下の春
湖や池に張った薄い氷のことを薄氷が張ると言ったりすることがあると思う。
一歩踏み場を間違えるとたちまち割れてしまう。その下には凍てつく水がある。
私は母が怖かった。その怖さというものは薄氷と似ていたのではないかと思う。
母と接する時は踏み外せない氷の上にいるような感覚だった。
母の場合は氷の下には炎が燃えていたと思う。
わたしは中学生になったころ、いろいろ荒れた行いをしていた。
生まれたときから家庭の事情というものに翻弄されていた。その背景がそうさせていたのかも知れない。
では不幸だったのか?ともし聞かれると、「幸せ」だったとそれだけは即答できてしまう。
中学生に入りわたしはいわゆる不良グループというものの中に身を置く。悪いといわれることをしている集まり。
余談かも知れないが、みんななにか家庭に事情がある。そんな子どもたちの集まりでもある。
ある日のこと学校の教師から母親とともに呼び出しを受ける。悪いことを知られたらしい。
母とともに学校に行く。
薄暗くなった学校の校庭。
校舎の後ろからは、黒に近い紺色と赤に近いオレンジ色のグラデーションになった夕暮れの空が見える。
部活をしていたであろう教室の蛍光灯がついている。もう帰る頃だろう。
人影のいないグランドを薄氷の母と歩く。
一歩一歩、砂を踏みしめる音が聞こえてくる。
そんななか母が言う。
「こんなことぐらいで呼び出して、私も忙しいのに。なあ裕行」
わたしはその日以来、いわゆる不良グループと距離を取るようになった。
その日の夕暮れ空とかすかな春のような感触が、心の隙間を埋める感じが残る。
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