己を確立すること。そして己を忘れる。
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。(”忘己利他 慈悲之極”)」
最澄上人が著述された”山家學生式(さんげがくしょうしき)”に書かれている言葉です。
わたしなりに意訳してみますと、
「自分のエゴを忘れて、他の人の得になるように動くことは究極の慈悲です」
このような感じになるでしょうか。
わたしはこの 「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」をセラピストとしてのテーマにしています。
壮大なテーマですが、セラピストとしての目指すところだと思っています。
利他は自分の幸せに通じる
“利他”は人のためだけではありません。
“情けは人のためならず”という言葉があります。
まさにそのとおりだと思います。
誰かのために何かをすること、それが利他です。
誰かのために何かをすることは、幸福感を得るためにとても大切なことです。
つまり利他心は自分の幸せの根源となります。
それは、お金で買える表面的な幸せではなく、湧き出てくる根源的な幸せを感じられるものです。
利己心(エゴ)を超越する
自分の幸せをも超越する、その究極の姿が「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」です。
己を忘れるというのは、利己心(エゴ)をなくすということです。
それは自分のためという概念がなく、ただただ他のために何かをするということ。
だから”慈悲の極み”なのです。
それは、この世界はひとつ、ワンネスだということにつながります。
己というものを忘れることで、他との境界がなくなります。
他との境界がなくなりひとつになります。
あなたの幸せはわたしの幸せです。
なぜならひとつだから。
己を忘れるためには、己が確立しているか
しかしながら、”己(自分)”というものを忘れるためには、まず”己(自分)”が確立していなければいけないとわたしは思っています。
己が確立していないために、他者に心を支配されてしまう可能性があるからです。
利他心に生きようとしても、他の人にいいように利用されてしまいます。
利他心を他の人が悪用して自己犠牲を強いられることにつながります。
利他心は誰が聞いても立派な考えだからです。
そこを悪用されて何かを頼まれたり命令されたりすると、断れなくなったり、申し訳ない気持ちに追い込まれてしまうからです。
思いやりのためにこれをしろ。
大切な人のためにこれをしろ。
こう言われると、そうせざるを得ない気持ちになってしまいます。
己が確立してないがゆえに、利他を強制されることになります。
つまりそれは自己犠牲です。
己が確立してないがゆえに、他者に己を乗っ取られてしまいます。
己を確立する
まずは自分と向き合い自分を確立します。
(過去記事もご参照ください)
→「自分らしく生きるとは?」
→「あなただからできること。あなたのギフト知ってますか?」
いきなり確立なんて難しいかと思いますが、まずは自分と向き合い続けるとうことが大切です。
まずは、自分の意志で他の人のために何かをすることが大切です。
それは自分の意志で行うことで自己犠牲でなくなります。
それが自分の幸せにつながります。
そして、その幸せを超越した、エゴを超越した、その先に慈悲の極みがあります。
己を忘れ他を利するための前提
仏教について教えをいただいている僧侶からは、”忘己利他(己を忘れて他を利する)”については大切な前提があると教わりました。
その前提はこうです。
◯色即是空と空即是色の理解があること。
◯自分自身が仏であると理解できていること。
仏教は、我々を含めすべては仏なのだと教えます。
”一切衆生 悉有仏性(いっさいしゅじょう しつうぶっしょう)”と言います。
つまり外に仏を求めるのではなく、すでに自分が仏なのだ、そこに気づくのだと教えます。
◯大いなるものとひとつだということを理解していること。
こう言ったことが前提にある上で、忘己利他の真意は成り立つということです。
「色即是空、空即是色を理解する」とは、真理と向き合うことにつながります。
「自分自身が仏であると理解できていること」とは、 自分をしっかり持っていることにつながります。
「大いなるものとひとつだということを理解していること」とは、この世のすべてに敬意を持ち感謝することにつながります。
”忘己利他(己を忘れて他を利する)” の前に、自分とこの世界のことに向き合っているかということがとても大切だということです。
相手も幸せ。自分も幸せ。幸せを超越する
少しわたしの話をします。
わたしは子供の頃から良い人と言われ続けていました。
それはなんでも人の言うことを聞くからでした。
しかしそれはわたしの本意ではありませんでした。
断ると申し訳ないと思ったから言うことを聞くのでした。
自分がまったく確立していないがゆえに、他者の言うなりなのでした。
そんな自分が嫌で仕方ありませんでした。
さまざまな学びをして体験をして、30歳半ばを過ぎてようやく自分というものが確立し始めました。
そして自分というものが確立し、人の言うことに”NO”と言えるようになりました。
そうして主体的に生きることができ、主体的に利他心を持てるようになりました。
誰かのために何かをすること。
それを自分の意志ですること。
そうして得る幸せ感はなにがあってもゆるぐことはありません。
まずは自分を確立すること。
それが相手も幸せ、自分も幸せになることにつながります。
そして、
「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり 」
それは幸せを超越したところなのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございます!
みなさまに幸せが届きますように!
すべてのことがらに感謝!
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