愛と恨みのオセロ

愛と恨みのオセロ

人間の心に愛と恨みというものは同居するものだろうか?
ここで言う愛とは、その行動にいっさいの見返りを求めないものであり、恨みとはなにかをされたことによって相手を憎む気持ちのことである。
つまり愛と恨みとは対義語ということになり、なにかを対象としてそこに愛と恨みが同時にあるということはありえないのだと思う。

僕は幼少のころから父がおらず、母と祖母、兄との家族で暮らして育った。
母は日中、働きに出ており、帰りは夜になってからのことが多かった。
そのため多くの時間は祖母とともにすごしてきた。

祖母はとてもやさしかった。
僕は祖母に叱られた記憶がほとんどない。
いつも明るく、冗談を言ったりして私をかわいがってくれた。
そんな祖母も、私が子どもから大人になっていくあいだに年寄りになっていく。
そしていつかは私よりも先に死ぬ。
「おばあちゃんは僕よりも先に死んでいくんだ」
僕はそんなことを想像しては悲しくなってしまい、いつも隠れて泣いていた。
とにかく祖母には歳をとってほしくない、死んでほしくないと、なにかあればいつもそう思っていた。
僕は祖母が大好きだった。

僕が11歳くらいのときのこと、プラモデルがほしくて祖母にお小遣いをねだったことがある。
そのころはプラモデルを作ってはすぐに新しいものがほしくなり、ひんぱんにおねだりをしていた。
祖母も小遣いをあげすぎだと思ったのだろう、その日はいくらお願いしても小遣いをくれなかった。
どうしてもプラモデルがほしい私は、喰い下がって粘った。
それでもくれようとしない祖母に私は怒りがこみ上げ、そばにあった大人の背丈くらいの衝立を遠心力で浮き上がるほど振り回し大きな音を立てて倒してしまった。
そのときの祖母の悲しそうな顔と、大好きな祖母にそんな顔をさせてしまったことは、今も胸が痛む思い出として残っている。

そんな僕が18歳になった。
大好きな祖母も元気でいっしょにすごしている。
このころくらいから、母が祖母に対してなにかを責めるようなことが多くなってきた。
祖母の取った行動に対し、気にいらないということで責めているようだ。
母がいったんなにかを責めだすととても長い時間それが続く。
終わったと思えば、またすぐさらに続く。
その日もそれが続いていた。
僕は家の二階にある、自分の部屋でそれを聞いていた。
その対象に粘着し責め続けるような声が木の床を通って、何を言ってるのかわからないが不安を感じさせる韻となって入ってくる。
祖母は言い返さず責められるままのようだ。
「祖母も歳をとって弱ったのだ」
部屋の床を通り、責められるままの祖母を感じて、そんな気持ちになる。
「お母さんもうやめて」
自分の部屋にいたままの僕はそんな思いを床下に投げつけ続ける。

長い時間がすぎてようやく床下からの粘着するような音は聞こえなくなった。
そして階段を上がってくる音が聞こえてくる。
足音からはそれが母だとわかる。
僕は思わず自分の部屋から出た。
そして部屋を出た先に小部屋があり、その突き当りを左に曲がったところの踊り場で、上がってくる母を待った。
怒りを身にまとったまま踊り場まで上がった母にこう言った。
「もうおばあちゃんをいじめるのはやめて」
その言葉はこう言おうと考えて出たのではなく、僕の心から発する声だった。
心で訴えることで分かってくれると期待したのだろうと思う。

母は踊り場から小部屋へ歩き、電球の明かりでクリーム色に見える土壁を背にしながらこう返す。
「ひろゆき、わたしがおばあちゃんになにをされてきたか知ってる?」
僕は母の生い立ちを知らない。
ただ僕の家庭には連綿とした不穏な何かがあるということは子供の頃から感じていた。
”やさしくて大好きな祖母が母をいじめてきたのか?”
そう思うと同時に、それは白と黒がオセロゲームのようにいきなり変わったような、そんな感覚を覚えた。
そして、これは夢かも知れないというような感覚になる。
ただ、祖母はいままで僕をとても可愛がってくれた。その事実は変わらない。
「それでもおばあちゃんをいじめるのはやめて」
僕はそんなことを言うが、母は引かない。
そして激しく言い合いになる。
「あんたにだって言えないこともされてきたのよ」
言い合いの中で母が言ったこの言葉が頭に残る。
結局、僕も母も引かないまま言い合いは終わった。
クリーム色の土壁が僕の家族に対する言葉にできない感情のモチーフになる。

大好きな祖母はそのあと30年も長生きして98歳で亡くなった。
僕はこれだけ長生きしてくれればもう十分で、亡くなったときもそこまで悲しくはなかった。
母は祖母の亡くなる5年ほど前から介護をするようになり、夜中のトイレや入浴など献身的に介護をしていた。
「わたしはおばあちゃんの世話をするのが生きがいなのよ」
これが祖母を介護していたときの母の言葉だ。
その母は貰い子であったため、祖母とのあいだに血のつながりはない。

人間の心に愛と恨みは同居するのか?
それは哲学や心理学的には説明できるものなのかも知れない。
しかしその本質は言葉にした瞬間にうそになるようなものだと僕は思っている。
愛と恨みを越えたところにはなにかがある。
僕はそう確信している。

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