「愛と感謝」比叡山参拝記パート2堀澤祖門先生講話会

「愛と感謝」比叡山参拝記パート2堀澤祖門先生講話会

比叡山参拝一日目の午後からは堀澤祖門先生の講話会と先生とご一緒させていただいての食事会が行われた。
この会は私自身の鮮烈な愛と感謝への気づきの体験となった。
それは私の人生を変えるものだと言っても良いだろう。
講話の内容は仏のことであり、僧侶として修行をしていない私では仏についてを論理的にまとめることは難しい。
この体験記は堀澤先生のお話から直感したことをできるだけ思考を介入させず書きつづるかたちになっている。
左脳で理解するよりも、右脳で感じていただければと思う。

堀澤祖門先生は十二年籠山行という千日回峰行と並ぶ難行を満行されている。
十二年籠山行に入るにあたり好相行という行も満行されている。
好相行とは一日に三千回もの五体投地をしながら礼拝を行うものだ。
修行に期間はなく、仏が出現するまでは死するまで繰り返される。
一日に三千回もの五体投地は体力を奪い、動作が緩慢となり五体投地に時間がかかるようになっていく。
そのため一日の時間のほとんどを礼拝に使い果たし、休む時間が無くなってくるがそれでも止められないのだと言う。
堀澤先生は命懸けの好相行に入り、毎日礼拝を続け三ヶ月ほど後に出現した仏に見えることが出来た。
十二年籠山行を満行した後は叡山学院院長を勤め、三千院門跡門主を勤めてこられた。
お歳は94歳であっても極めて頭脳明晰な老師である。

堀澤先生の語り口調は静かで柔らかいが、言葉のすべてから力強いエネルギーを感じることができる。
お話は仏教のことはもとより、世界中の宗教のことや政治やマスコミ、国と国との紛争まで非常に幅広く語られる。
現在も多くの書籍を読まれ、蓄積された知識は膨大であろうことが伺える。
しかしお話には一貫したテーマがある。
それはこの世界は「愛と感謝」なのだということだ。

堀澤先生は仏教ではこの世界のすべては仏であると言う。
在りしものすべては仏であり、私もあなたもすべてが仏なのだ。
在りしものすべては仏に”成る”のではなく、すでに仏である。
仏とはこの宇宙の無限のエネルギーであり、無限の慈悲である。
すべては仏であるからこの世界は一つであり、一元絶対のワンネスなのである。
無限のエネルギーとつながり、一元絶対のワンネスの世界に気づくことを悟りと言う。

しかし私たち人間には”概念”と言われる”枠”が遍満している。
男と女、国と国、人種と人種、信念と信念、すべて枠である。
そういった”概念”というものがあることを二元相対と言う。
人間は枠に囚われることで苦悩が生じる。
仏教は生老病死の苦悩から解脱の方法を説くが、生老病死というものも枠でしかない。
生老病死という枠に囚われることで苦悩するのだ。
生きることを求めると、生きる枠に囚われ苦悩が生ずる。
お釈迦さまはこの世界は無常であると悟った。
この世界が在ることも無常だ。
無常ゆえにこの世界はない。
在ることに囚われることで枠にはまる。

この世界の唯一無常でないもの、それは無限のエネルギーである。

仏教では無限のエネルギーを”空”と言う。
空は”無”であるが無限のエネルギーだ。
この世界は”色即是空(しきそくぜくう)”である。
目で見えている物を”色”と言うが、それもすべて”空”である。
しかし空ではあるが色でもある。
つまり”空即是色(くうそくぜしき)”である。
“枠”から出ることができ、無限のエネルギーを感じることができても、”色”を見失ってはいけない。
この世界は”空”だけではないのだ。
枠がなくなるだけであると、自己愛に酔っ払ってしまい好きなことをやり放題となってしまう。
“色”がある”空”であること、枠のある世界に生きていることを知っておく。

私たちは無限のエネルギーから身体を頂いている。
この身体は無限のエネルギーからの借り物なのだ。
借り物だから大切にするのだ。
無限のエネルギーは愛と感謝だ。
すべては無限のエネルギーから生まれ、すべては一元絶対であり、すべては一つ、ワンネスなのだ。
すべては愛と感謝であり、すべてを愛し感謝するのだ。
そして無常の世界を悠々と生き、悠々と老い、悠々と病気をして、悠々と死ねば良いのだ。
死は一元絶対となるおめでたいことである。
すべてに委ね、おまかせで生きれば良い。楽に生きるのだ。

量子力学では無限のエネルギーをゼロポイントフィールドとして認識している。
無限のエネルギーは波と粒で成り立っている。
粒は通り抜け、波は共鳴する。
愛と感謝も波であり粒である。
自分自身が愛と感謝で生きることで、その愛と感謝はあらゆるものを通り抜け、あらゆるところで共鳴を起こす。
そうしてこの世界に愛と感謝を伝えるのだ。
伝教大師最澄さまは”亡己利他(もうこりた)”と言う言葉を残している。
己を忘れ他を利することを慈悲の極みと言う。
利他心をもって愛と感謝で生きるのだ。

そしてすべては無心で生きる。
枠から出て無心で生きる。
悟ったとか悟ってないなどと言うのも枠である。
「私は悟った」と言うのも悟りという枠に囚われている。
この世界に肉体はあり、”色”でありつつ”空”であり、”色”と”空”とすべてひとつになったことを「妙有」という。
枠から完全に出ることで無心になる。
道元禅師は「心身脱落」と言った。
心身脱落し無心で生きる。
無心が愛と感謝である。
愛と感謝それが無限のエネルギーであり、慈悲であり、仏である。
この世界のすべては愛と感謝、仏なのである。
「妙有」を目指して悠々と楽に生きれば良いのである。

堀澤祖門先生からお話を聞かせていただき、その言葉を私なりに咀しゃくしながら書きつづらせていただいた。
咀しゃくの過程で「その理解は違う」と言ったことを書いてしまっているかも知れない。
そこはご容赦いただき、「間違ってるところを調べてみるか」と、仏法に興味を持つきっかけとなっていただければと思う。

堀澤先生がお話をされるお姿は、まるでお釈迦さまが目の前にあらわれ説法をされているようだった。
お釈迦さまの説法はこのような感じだったのかも知れない。
幾度となく目が熱くなり何とも言えない幸福感を感じた。
まさにそれが愛と感謝なのだろう。

最後にこの場を作っていただいた山田圓尚さんに心より感謝する。
山田圓尚さんは堀澤先生の弟子であり、同じ場にいたお二人の会話の様子、表情や雰囲気からはお互いに敬愛する師弟関係なのだと強く感じると同時に心が温かくなるものを感じさせていただいた。

体験記の終わりに、以前にも堀澤先生の講話会に出席された方から伺ったある青年と堀澤先生との問答を記したい。

青年は堀澤先生に問う。
 「仏って何ですか?」
堀澤先生は力強さをもって即答する。
 「あんたも仏だよ!」

堀澤祖門先生(真ん中右)と山田圓尚さん(真ん中左)と参加者の皆さん。
己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。
堀澤先生の板書。
堀澤先生に質問する筆者。
明け方の琵琶湖。
伝教大師最澄さまが今もおられる奥の院。どんな時も落ち葉ひとつない清掃され切った場所。
比叡山の麓の日吉大社まで本気の登山家3名に案内され山道を降りる。
日吉大社東宮。
宮司さんに日吉大社を案内していただきました。

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