エゴと向き合うこと、それは幸せへのみち
今回は耳が痛いお話しになるかもです。
前回お話ししたエゴについてをもう少し広げて書いてみました。→「苦悩はエゴから。感謝の力ですべて解決する」
私は揺るぎのない幸せのためには、このエゴに向き合うということが不可欠なことだと思っています。
「エゴ」それは物事をわたし主体で考え、あなた目線が足りないこと。
この世界の真理は、すべてあらゆる物事と関係し合って成り立っています。
相互依存。
Win-Win。
自利と利他。
持ちつ持たれつ。
わたしだけでは成り立たない。
あなただけでも成り立たない。
さらには、わたしとあなただけでも成り立たない。
宇宙も含めたこの世界があり、そしてわたしとあなたがいる。
あらゆる物事が関係し合って成り立っていることがこの世界の真理です。
この関係性を仏教では”五蘊・衆生・国土”の三世間と教えます。
しかしエゴが強くなると、その関係性を感じられなくなります。
“わたし”を中心としたものごとの見方となり、”あなた”より”わたし”の得を優先するようになります。
わたしが得をしたいがために、あなたに損をさせてしまう。
そういうことになります。
つまり”Win-Lose”の関係を作り出してしまいます。
そういった関係では優越感は感じるかも知れませんが、本当の幸せは感じられません。
また、しっぺ返しがやってくる可能性もあるでしょう。
そしてしっぺ返しが来たときには、「なんでわたしがこんな目にあうのだ」。
こういう気持ちになるでしょう。
それは、わたししか見えてないからです。
この世界は持ちつ持たれつです。
相手に損をさせること、つまり”持たれる”だけではいけないのです。
さらには、自分も相手も得をする”Win-Win”の関係が大切なのです。
しかしエゴはとっても厄介です。
なにが厄介か?
それは自分で自分のエゴに気づかないのです。
相手のためを思ってるつもりでも、実は自分が気持ち良くなりたいとか、優越感に浸りたいとか、そのために無理強いしたりとか、そういうエゴが隠れてしまっているのです。
「なんであなたは分かってくれないの」
「あれだけしてあげたのに、感謝のひとつもしてくれない」
こういう気持ちになるときは、たいてい強いエゴが隠れています。
エゴはなくすことは出来ないでしょう。
わたしもこの文章を書いている時点で自分のエゴを感じます。
そのエゴに向き合うということがとっても大切なのです。
そして矛盾する言い方になりますが、そのエゴを人や社会の役に立つようにして行くと、持ちつ持たれつの関係性が出来上がります。
“わたしのしたいことが、あなた(他者・社会)の役に立つことになる”
他者や社会の役に立つということは、幸せを感じる大きな要素です。
自分のエゴに気づくことで、人や社会のためにエゴを有効的に使えるようになるでしょう。
しかしそれだけではまだ揺るぎない幸せには至りません。
なぜならエゴを完全に気づくことはおそらく無理だからです。
気づかないうちに自分が得をして相手に損をさせるからです。
そこで考え方を逆にしてみます。
“あなた(他者・社会)の役に立つことが、自分のしたいことになる”
自分のエゴを主体にするのではなく、相手の得を主体に考えるのです。
こう考えることで、わたし目線からあなた目線へとシフトしていきます。
あなた目線で行動しながら、そして自分のエゴと向き合って行きます。
自分のエゴは何か?
エゴと向き合わなければすべてははじまりません。
エゴと向き合えばこの世界の関係性を感じることができるようになります。
わたしだけで生きているのではない。
この世界があり、あなたとわたしが生きているのだ。
そうして顕れてくる気持ちは、すべての物事(わたし・あなた・社会・世界)に対する「感謝」の気持ちとなって行くのです。
それはこの世界の摂理に従った、揺るぎない幸せなのです。
最後までお読みいただきありがとうございます!
みなさまに幸せが届きますように!
すべてのことがらに感謝!
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