「苦悩とはなにか」心と身体をつなぐエッセイとコラム(癒しのセラピー)

「苦悩とはなにか」(癒しのセラピー)

はじめに

癒しと苦悩は対極にあると考えています。
苦悩とは、生きているうちにまとわりつくように感じる、不安や恐怖などのネガティブな感覚のことです。
生きることの不安や恐怖は、その原因が漠然とし、はっきりしないことが多いのではないかと思っています。
この苦悩がなぜ生じるのか、それが少しでも見えてくることで、苦悩の迷宮から抜け出しやすくなるのだと思います。
この苦悩についてのお話が、少しでも癒しの種となれば幸いと思っています。

癒しと苦悩

 癒しとは、人が幸せに気づくための過程だと考えています。幸せとはなにかと言えば、生きる苦悩を苦悩と感じなくなり、生きる喜びとともに生きている状態だと思っています。喜怒哀楽のすべてに喜びを感じ、喜怒哀楽のすべてに感謝ができる状態が幸せなのだと私は思っています。
 では、生きる苦悩とは何なのでしょうか。このことについて緩和ケアと仏教の教えを参考にしながら解説していきたいと思います。

苦悩について

 苦悩とは、人間の根源的な次元より生ずる苦しみです。「不安」、「辛い」、「苦しい」、「寂しい」、「虚しい」などと感じ、「なぜ私がこんな目に」、「申し訳ない」、「罰があたった」、「不公平だ」、「誰も分かってくれない」、「なぜこんなことになるのだ」、「生きる意味がない」などと思ったりしているときが苦悩を感じている状態になります。
 苦悩と病気や痛みは直接的に同じものではありません。病気や身体に痛みがあるから苦悩するのではなく、病気や痛みが、生きることの苦しみへとつながりることで苦悩を生じます。つまり病気や痛みによって必ず苦悩が生じるわけではないということです。子どものときに風邪をひいたとき、学校を休めるとか、家族が優しくしてくれるとかしてくれて嬉しくなることもあったのではないかと思います。それは風邪の辛さがあっても苦悩を感じなくなっているときです。
 では苦悩とはどこから生じるのか?ここは現代の科学では解明されていないことです。動物は生存的な危機に遭遇すると脳にある扁桃体が興奮し恐怖を感じます。ではなぜ生存し続ける必要があり、なぜそのようなもの仕組みが生まれたかということを解明しようとすると、そもそもなぜ宇宙が存在するのかということに突き当たってしまいます。苦悩の根源は科学的には一切分かっていないというのが現実です。

スピリチュアルペイン

 緩和ケア(終末期ケア・ターミナルケア)という医学には、苦悩をあらわす概念として、スピリチュアルペインというものがあります。霊的苦痛と訳されたりしますが、この訳語だけではすべてをあらわせていないとも言われています。
 スピリチュアルペインは、「生きる意味」、「苦しみの意味」、「罪の意識」、「死への恐怖」に対する不安や恐れによって生じるとされています。これらは私たちが生きていく上で避けられないものから生ずる苦痛であります。薬物や心理的ケアだけでは解決することが難しく、人間の根源的な次元に踏み込んでのケアが必要とされています。緩和ケアではスピリチュアルペインに苦悩する患者に対して、宗教的な概念を元にしたケアを行っています。

生きる苦悩についての仏教の教え

 仏教では生きる苦悩の根源というものを伝え、どうすれば苦悩から解脱できるのかを伝えます。この世の苦しみには「生、老、病、死」の四苦(しく)があると伝え、さらに具体的な四つの苦についても伝えます。それには、「愛別離苦(あいべつりく)」、「怨憎会苦(おんぞうえく)」、「求不得苦(ぐふとっく)」、「五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四つがあると伝えています。これらすべてを合わせて四苦八苦(しくはっく)と呼びます。

四苦八苦

 生老病死の苦とは、人間がこの世に生きているあいだ避けることのできない根源的な苦しみのことです。老いて衰えていくことの苦しみ、病になり弱ることの苦しみ、死して朽ちることの苦しみ、そして老病死とともにある生きる苦しみがあると仏教は伝えます。
 さらなる四つの苦は、人間の感覚や感情、行動により生ずる苦しみのことです。愛別離苦(あいべつりく)は別れることの苦悩、怨憎会苦(おんぞうえく)は嫌な人に出会ってしまうことの苦悩、求不得苦(ぐふとっく)は求める物事が手に入らないことの苦悩、五蘊盛苦(ごうんじょうく)は心や身体の感覚が満足できないことの苦悩があると言っています。

執着

 四苦八苦の苦しみの根源はなにかをたどっていくと、この世界の真理に突き当たります。仏教を開いたお釈迦さまは真理を覚ったときこう言ったといわれています。
 「如来如去(にょらいにょこ)」と。
 この世界はありのままに来てありのままに来るという意味です。つまりこの世界はすべて生まれては消え行く世界なのだと言いました。一切の物や現象(事)は無常だということです。
 仏教は、無常である物・事に「執着」することで苦悩が生まれるのだと伝えます。物や愛情や地位など、あらゆるものに執着することで苦悩が生じます。具体的に言うと、すべてはやがて去り行く物・事に対して執着することで、その物・事が無くなることの不安が生じ、苦悩になるということです。怖い話に聞こえるかも知れませんが、「死」への恐怖は、やがて朽ちる「生」への執着によって生ずるということになります。

手放し委ねる

 ではどうすればいいのか。まずは「如来如去」である、あらゆる物・事が諸行無常の、この真理に気づきます。そして苦悩の根源は執着していることであることを知ります。続いて、自分が執着している物・事を「手放す」ことが大切になります。さらに大切なことは「委ねる」ということになっていきます。前段で書いた「生」への執着は、生を手放して死ぬという意味ではなく、「生を委ねる」ということになります。手放し委ねるということはとてもとても大切なことで、この文章ではこれ以上深く説明することはできません。

苦悩というものを知る

 生きていくなかで、人には説明しにくい漠然とした不安や苦悩があると思います。自分自身でその原因がわからずもやもやしたりいらいらしたりしながら毎日をすごすこともあるのではないかと思います。苦悩から解放されるためには、まず苦悩というものについて知ることが大切なのだと思っています。
 生きる苦悩である、スピリチュアルペインも、四苦八苦も、同じ根源から生じ、その原因は執着することから生じているのだと私は考えます。

さいごに

 苦悩というものは人間の根源的な次元から生じるもので、スピリチュアルなものだと思っています。スピリチュアルなものの根源は言語化できないものだと思っていますが、少しでも苦悩についての糸口が伝わればと思います。癒しの種になれば幸いと思っております。

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